カンボジアPKOの思い出

本日付各紙訃報欄に小さく、元統幕長の死去が掲載されていた。西元徹也氏、87歳。日本が自衛隊部隊を初めて海外派遣したカンボジアPKOのころ、陸上自衛隊の最高責任者を務めた人物だ。私ども日本政府派遣の選挙監視団は選挙が行われる93年5月に現地で仕事をしたが、当時、ポル・ポト派の選挙妨害で不測の事態が予想されており(現実に日本人の国連ボランティアと日本政府派遣の文民警察官がそれぞれ同じ年に銃殺されていた)、現地派遣の陸上自衛隊でレンジャーチームを結成し、パトロール(巡回)と称する警戒活動を行ってくれた。その行動が法律の規定から逸脱するものとして、当時のマスコミから東京でぎゃんぎゃんに叩かれる矢面となったのが西元陸幕長だった。5年後の98年、次のカンボジア総選挙で西元氏は政府派遣の選挙監視員に志願し、再び現地の土を踏んでいる。私はそのときの選挙をフリーランス記者として取材していたが、あるレストランで通訳とともに食事をしていた元統幕長と一緒になり、名刺交換した、名刺には「東芝」の文字があった。西元氏は安倍政権における集団的自衛権行使の検討部会の一員でもあった。現在の自衛隊幹部OBが戦前の軍人さながら居丈高に「軍事費増強」や「憲法改正」を叫ぶ姿と対照的に、慎み深い印象の人物だった。

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