歴史修正主義者の内在的論理

本日付産経新聞で櫻井よしこ氏が「派閥解散より連立解消」と訴えていた。そこで自民党内の派閥解消よりも、「公明党との関係を見直すこと」が重要であるかのように説き、公明党が「現在も岸田政権の政策推進を妨げている」と強弁し、公明党が憲法改正に慎重姿勢を示していることや殺傷武器の輸出について一部慎重姿勢を貫いていることに不満を述べる。その上で「公明党との連立解消が重要な鍵となる」と述べ、「両党の支持者にとって心の晴れる道ともなろう」と結んでいる。どこまでいっても彼女の“心情論”の域を出ず、ほんとうの愛国的精神とはとても思えない内容だ。もともと連立政権とは、違う信条をもつ政党同士が合意できる共通政策のもとで政策を推進する枠組みであり、考え方が異なる面がある政策については前に進まないのは当然のことだ。その点に個人的に不満をもつからといって、すべてをぶち壊しにせよという意見は、国家の将来を考えている人間のものとはとても思えない。

櫻井よしこ氏を筆頭とする歴史修正主義者たちはかつての大日本帝国時代に強い“郷愁”の心情をもち、同時代を否定的に評価する論調について過小評価する姿勢が顕著だ。必然的に「天皇の軍隊」であった旧日本軍のアジアへの蛮行についても、その事実をファクトに基づいて公正に評価するのではなく、自分の都合のいい証拠と主張に依拠する特異な姿勢が顕著だ。旧日本軍の不法行為として知られる南京大虐殺を否定し、南京大虐殺とともに発生した婦女子への大量レイプに手を焼いて陸軍がつくった慰安婦制度も過小評価する姿勢が顕著だ。その結果、「南京事件」と「慰安婦」は、この国の近現代史における“公正さ”を占うリトマス試験紙となっている。歴史修正主義者かどうかを判断するための重要な道具と化している現状がある。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。