差別主義者を増長させた安倍元首相

第1次安倍政権は2006年から07年にかけてのわずか1年限りの期間だったが、多くの重要な法案を可決した。一つは教育基本法に国家主義をもちこむ改悪であり、さらに防衛庁を省に昇格させ、憲法改正をめざして国民投票法を成立させた。同時に、歴史修正主義の色合いを顕著に見せ、慰安婦の強制連行を否定する閣議決定を行った。政治のトップがそのような行動をとれば、当然ながら社会にも一定程度の波及が生まれる。在日特権を許さない市民の会(いわゆる在特会・桜井誠会長)が結成されたのは第1次安倍政権時の07年1月のこと。以降、街頭にはヘイトスピーチデモが活発化する。「ヘイトスピーチ」という用語が生まれるのは第2次安倍政権ができた2012年12月の翌年。2013年3月、朝日新聞の石橋記者が記事で初めて使用したとされ、「ヘイトスピーチ」はその年の末、新語・流行語大賞にもなった。

そんな第2次安倍政権ができた2012年12月の総選挙で、維新から出馬して初当選したのが現在問題となっている自民党の杉田水脈議員 (安倍派) だ。同議員はそれから2年後の総選挙で落選する憂き目をみ、3年近くの“浪人生活”をへた後、一本釣りの形で拾い上げたのが当時の安倍首相本人とされる。2017年10月の国難突破解散の総選挙で再び議席を得た杉田氏は、現職総理の後ろ盾のもと、2期にわたり政治活動してきた。岸田首相はこれまで安倍勢力(いわゆる安倍派)に遠慮するあまり、彼女に対して「大甘」の対応を続けてきた。連立与党の公明党も厳しく言わない。「大人の規範」が壊れた政治は、当然、一般社会にも波及する。政界はカネの問題だけでなく、差別の問題にも襟をただすべきときだ。

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