公明党と平和政策

敗戦から78年目の日を迎えた。明治維新から1945年まで77年。その期間をようやく「戦後」が超えたことになる。公明党は1964年立党の58年の歴史の政党だが、母体は宗教法人創価学会だ。創価学会は800年前の日蓮仏法を信奉する教団で、日蓮が帰依した法華経は仏教の精髄であり、人間主義・生命尊厳を第一とする。そうした思想的背景のもと、政治にプラスの価値観を与え、民衆幸福の一助になれればとの思いから立党されたと認識する。その公明党も長年の野党時代をへて、与党入りしてすでに20年以上。特に安倍晋三というかつての大日本帝国復活を心情とする首相を支えてからは、ある意味で流されっ放しである。

特に2014年に憲法解釈を変更した国策の転換は「閣議決定」というナチスの手法を学んだ形で実行され、翌年、新制度となる法改正が行われた。さらに岸田政権になってからも、敵基地攻撃能力の保有、さらには「異次元」の防衛費増額を自公両党の密室協議で決めてしまった。この件に関する公明党員、創価学会員に対する真摯な説明は今も行なわれていない。

ある自民党議員は「昨年の防衛力強化の議論は危機感をあおって防衛費の増額につなげるという冷静さを欠いたものだった」(8月12日付毎日)と指摘するが、公明党議員も状況の危機感を煽られてそれを容認する結果となったことは明らかだろう。すでに戦中派議員は皆無となり、戦争を知らない世代の議員たちが、下した結果と思われてならない。

防衛費をGNPの2%に引き上げるという政策も、もともと安倍元首相の主導のもとで行われていたら各界から多くの反発が起きて、実現できなかった可能性が高い。逆に一見リベラルでフワッとした岸田首相だったからこそ、マスコミの重篤な反発もなく、国会をスルスルと通ってしまったことはよく指摘されることだ。ここで公明党が「歯止め」とならなかった事実は、歴史に刻まれる。付言すれば、公明党国会議員にもっと女性議員が多ければ、同じ結果にはならなかっただろうと感じるのは私個人の意見だ。

自衛隊を海外に出すか出さないかで国論を2分したPKО論議が行われた1992年からおよそ30年。当時の創価学会の内部は政治的に大揉めに揉めた。だがそれから30年の月日をへて、すでにこの国の「憲法9条は半分以上、骨抜きにされ」(『半藤一利の遺言』)、台湾有事を煽りの名目に、すでに沖縄離島各地に自衛隊を配置し、この国は戦争準備に向かっている。中国がよもや台湾に武力侵攻すると考えている識者は実際は少ないのだろうが、それでも日本が軍備増強した結果は残る。また予算をそこに集中させた責任は当然ながら政治にはね返る。公明党が結果的にであれ、戦争を推進したとみなされれば、あるいは国策判断を誤ったという結果になれば、当然ながら、創価学会も歴史的に同じ評価を受けることにつながる。

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