「デマ製造機」門脇護の20年

私がこの人物の観察を始めて何年になるだろうか。このホームページの前身画面を開始したのが2004年3月で、そのときからテーマにしているから19年近い計算となる。「週刊新潮」時代は、交通事故の100パーセント被害者であった男性に対し、相手車両の人物が死亡したことを利用して「殺人犯」まがいのレッテルを貼り、民事裁判で敗訴した。さらに95年に東京都内である女性市議がビルの上層階から転落死した際、関係のない団体に責任をなすりつけるかのような記事を書いてこれも敗訴。さらにはルーシーブラックマンさん事件で真犯人と関係のない人物を殺人犯扱いし、これも敗訴。いずれも小生執筆の書籍『疑惑の作家 「門田隆将」こと門脇護』に記録してある。さらに週刊新潮時代は創価学会の池田名誉会長の犯罪なるものを事実的根拠もなく“捏造”し、キャンペーンをはったのもこの人物だ。そうした数々の悪行により、「週刊新潮」の編集長になる芽を失った行き先は、独立して作家の道を歩むことだった。だが作家に上っていく過程で、盗用問題が発覚し、1審・2審・最高裁と判断内容が変わることなく敗訴したのは2015年。さらに2020年の米国大統領選挙においては、トランプ大統領に肩入れし、トランプの苦し紛れの主張であった「選挙が盗まれた」キャンペーンに同調し、最後まで日本国内でデマ発信をつづけた。だがそうした行動の反省の弁を述べることもなく、いまは中間選挙が行われているまっさかりなのに選挙のことは何も述べず、貝のように押し黙っている。近年も、「安倍首相が統一教会の天敵だった」と事実をねじまげて発信してきたいわくつきの人物だ。そして昨日は2年前に産経新聞に寄稿した文章が原因となって、立憲民主党議員に敗訴した。本人は判決から30分も立たない段階(つまり判決内容を自ら確認もしていない段階)で自己弁明の内容をツイッター上に発信。すでに冒頭から述べてきたような行動により、同人の業界における信頼は地に堕ちている状況であり、頼るべきは「情弱多数」を含む自らのフォロワーのみという状態に陥っている。上記の自己弁明の行動も、実際はフォロワー頼りの状況を示していて興味深い。日本のメディア界はこのような人物でも、生きていける余地のある「寛容」な世界だ。もちろんこれは皮肉にほかならない。日本のメディア界が事実追求重視の「まともな世界」であるのなら、このような「まがい物」はとっくの昔に淘汰されていたはずだ。日本言論界における「負」のリトマス試験紙である。

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