畜生道を懐かしむ人びと

ロシアのウクライナ侵攻は近現代史を知る人からすると、満州や中国に侵攻した旧日本軍を連想する人が多いようだ。相手を見下す感情とともに「すぐにカタがつく」と過信して安易に攻め込み、泥沼に陥った点がよく似ている。半年後には首都南京を攻め落とした旧日本軍と、首都キーウを落とせなかったロシア軍という違いはあるが、その過程で多くの虐殺、破壊、さらにはレイプを行った点はよく似ている。戦場は兵士を狂気で包みこむ。これは人種に違いがないようだ。理性というものが容易に失われるからだろう。いま、ロシアが戦略を失敗し、国際的な包囲網に置かれている姿を見て、中国が台湾併合に後ろ向きになるはずと予測する意見が見られる。さらに日本も軍事拡大しないと、周辺国にやられるとの庶民レベルの意識変化もみられる。政治家にいたっては、ウクライナ問題をてこに日本の軍備増強や核保有まで主張している。日本が戦後長らく保持してきた憲法に基づく「専守防衛」を変更する声すら自民党内から上がり始めた。「専守防衛」は先の戦争の反省から、日本にはめられた大きな「タガ」だ。同時に、日本の戦後の平和思想として定着してきた。よくウクライナはそれまで保持してきた核兵器を廃棄したためにロシアに攻め込まれたという論があるが、短絡的だ。

日本が「専守防衛」を捨てれば、戦後の歯止めは失われ、戦前回帰に一直線となる可能性がある。手にした武器は使いたいというのが人間の本性だが、過去の歴史に照らし、破滅への危険性が高まる。人間はイヌやサルなどの畜生と異なり、理性をもつ存在だ。相手を敵とみなし、角を突き合わせる姿は畜生の範疇だが、人間には畜生とは異なる善性や理性を兼ね備える存在だ。畜生道の地球から、人間道の地球へ「反転」しなければならない。

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