東京五輪の是非

菅首相が東京オリンピックについて「必ずやる」と強気の姿勢を鮮明にした。この言葉は逆に中止に追い込まれた場合、政局を呼び込むことも意味する。すでに世論は圧倒的に中止・延期を求めており、医療関係者にも「無理」とする意見が多い。そのため、昭和の戦争で「神風」が吹くことを信じた心情に重ね合わせて現政権を批判する声も強い。実際、世界で新型コロナウイルスの脅威が蔓延する中で、半年後にオリンピックが開けるとしたら、それは「神風」が吹くしか見込みはないように思われる。ワクチンあるいは春先の陽気によって急速に感染が収縮し、奇跡的に開催が可能になるというシナリオだ。それでも本日の東京新聞特報面を見ると、日本のオリンピック代表選手はまだ20%しか内定していないという。さらに海外でも代表選出は半分に満たない現状も指摘されている。ウイルスの問題だけでなく、開催の物理的な準備が整っていないのとしたら、当然ながら開催できない「変数」はほかにもあるということになる。

私がこのオリンピックに固執するのは、多少なりとも空手の取材をしたことも大きい。今回の東京五輪で空手が初めて正式種目となる。さらに3年後のパリ五輪では空手は正式種目から外れてしまったので、当面は最初で最後の舞台なのだ。形部門の男子では、沖縄の選手が金メダルを取る可能性が高い。半世紀前の東京オリンピックが開かれた際は沖縄はまだ米軍統治下にあって、正式な日本ではなかった。今回初めて五輪の金メダルが沖縄に渡る可能性が高い。学生時代に空手に打ち込み、沖縄基地問題にも密接に関わってきた菅首相には、こうした思いも多少はあるものと信じたい。「神風」が吹くかどうか、遠い時代の「元寇」以来の国運が問われる。

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