カテゴリー ‘空手’ のアーカイブ
徒然なるままに

空手随想1 空手に先手なしと核先制不使用

近世から近代にかけて沖縄で定着した空手(唐手)は、自分の身を守るための護身術として発達した。それはまさに相手の急所を一撃するための殺人拳でもあった。現在の空手は試合を導入したことにより、必然的にスポーツに転化しているため、元の形をそのまま ...

「戦わずに勝つ」という最善の方法

私が沖縄空手の取材を始めたのはちょうど5年前の秋のことだった。もともと沖縄では琉球舞踊などが独自文化として有名だった半面、空手は当地においてすら独自の文化遺産との認識は近年まで薄かったようだ。その証拠に戦後の書物などを見ても、独自文化の象 ...

空手普及100年

沖縄本島出身の富名腰義珍が東京出張を終えたあとの帰琉日程をとりやめ、東京に残って空手普及を始めてちょうど100年となる時期である。富名腰はその後船越と名を変えて日本空手界に名を残す存在となった。問題は当時の沖縄空手をそのままの形で普及する ...

空手伝来から100年

ことしは100年づくしの企画が多い。水平社宣言から100年、サンデー毎日・週刊朝日の創刊100年、日本共産党の100年。その中であまり注目されないのが沖縄から日本本土に空手(当時は唐手)が伝わって100年となる史実だ。1922年4月末から ...

空手雑感 41

空手にはさまざまな種類がある。私も5年ほど前から2つの空手を並立させている。一つはこちこちのヤマトの空手であり、もう一つは琉球伝承の伝統的な空手だ。それぞれが補完し合って自分の中ではうまく協調している感じがする。伝統的な空手は古い形式の型 ...

空手の本土普及から100年

沖縄で形成された空手(当時は「唐手」)が日本本土に普及開始されたのは1922年のこと。4月30日から1カ月かけて開催された文部省主催のスポーツ展覧会で、初めて沖縄の空手が紹介されたのが始まりである。このとき沖縄から上京したのが船越義珍(当 ...