石破首相の総理所感を読む

2025年10月10日、公明党の連立離脱にかき消された中に石破首相の所感発出のニュースがあった。少数与党政権のさらに党内基盤の弱い首相が、こだわってきた文書である。そうした政治背景を理解しないで、なぜ8月15日に出さなかったなどと批判する社説も見られるが、ないものねだりと言うしかない。これまで在京6紙の中で5紙が社説で取り上げた。順にあげると次のとおりだ。

10月11日付

東京 「戦後80年には不十分だ」 酷評

産経 「平板なリポートのようだ」 酷評

10月12日付

読売 「メッセージの発出に見識疑う」 酷評

毎日 「歴史から学ぶ政治の責任」 まあまあ

日経 「一人ひとりに戦争の自省促す首相所感」 真意を汲む内容

 いまだ社説を出していないのは朝日だけだが、扱いに困っているのだろう。私個人はこのくらい酷評されるのはむしろ歴史の流れにあってむしろ当然という気がする。石破首相の真意は、現代史において一度失敗を犯したこの国が、過去の教訓を忘れ、再び過ちを繰り返すおそれがある中、懸念の「ど真ん中」に警鐘の剣(つるぎ)を投げ込んだ姿にも映る。その要点は、歴史を直視せよという、現状日本社会の風潮に対する最大の警鐘だ。次の文面にその思いは溢れている。

「全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です」

「我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません」

「歴史に正面から向き合うことなくして、明るい未来は拓けません」

 私が首相の文章に1点だけ意見を述べるとすれば、次の部分である。

「政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会とメディアです」

 内容にまったく異論はないのだが、現代社会で「歯止めの役割」を果たせるのはすでにメディアだけではなくなっている。むしろ「インフルエンサー」と称する面々、あるいはSNS上の「発信者すべて」と置き換えてよい。「歯止めの役割」を果たせるのは、有権者を含む一人ひとりの時代だ。石破所感はその意味で、国民住民全員が自分宛のメッセージとして読むべき文書と確信してやまない。

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