「憎悪の連鎖」との闘い

いま中東で起きている事態は積もり重なった「憎悪の連鎖」からいかに脱するかという困難な闘いだ。同じホモサピエンスという同一種類の人類でありながら、肌の色が異なり、宗教が異なり、使用言語が異なり、国籍が異なる。そうした違いにこだわるのではなく、同じ人間としての共通点に立とうとするのが仏教をはじめとする高等宗教のめざす方向性といえる。いま中東で起きている事態は、実は日本国内の問題とも無関係ではない。近年特に取りざたされる埼玉県のクルド人とごく一部の日本人との間でなされてきた「憎悪の連鎖」は、その本質は中東の事態と何ら変わるところがない。日本で外国籍住民が増えてきたとはいえ、問題が起きる場所と、一定程度うまく「共生」ができている地域に分かれる決定的な要因は何かといえば、私は「憎悪の連鎖」が拡大しているか、それを封じ込めているかの違いと確信している。SNSはデマでもいいから拡散して、金儲けを図るメディアとしての性格をもつが、この特質は、「憎悪の連鎖」を拡大しやすいツールとして登場した。埼玉県川口市では与党の自民党市議の中に「憎悪」を煽る特徴的な人間がいて、さらに県外からフリージャーナリストとして参入した人物がいて、さらにはこの問題を商売の道具にした全国紙があった。これらが三位一体となって作り出したのが埼玉クルド問題の本質といえる。望むべきは地元の公明党関係者が主体的にこうした事態を回避する道があったはずだが、地元の与党市議の動きに影響されてか、本来的にあるべき姿に向けた「有効な手」を打てないできたというのが、私の見た限りの実態だ。要するに小さな火の手が幾つも上がっている段階で、効果的な初期消火をすることなく、大火事にしてしまったという比喩がわかりやすいだろう。こんごも日本全国で小さな火はいたるところで起きるだろうが、川口市の事例を教訓に、全国の心ある公明党議員、支持者が「憎悪の連鎖」を鎮圧する方向で尽力することが不可欠と考えている。

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