隠す文化

日本人は「隠す文化」を持っている。その最たる事例は、先の昭和の大戦の終戦時、組織的に役所所有の都合の悪い文書を焼却・廃棄した問題だろう。「戦犯」にされることを恐れたわけだが、その中には歴史の教訓となる多くの資料が含まれていたことは明白だ。慰安婦を強制連行したことを証明する文書が含まれていた可能性も高い。つまり、現状で「慰安婦の強制連行はなかった」などとする言説は大間違いで、正確なコメントを発する識者ならば「現存する資料からは明確に確定できない」「あったともなかったとも証明できない」と述べるのが普通だろう。「強制連行はなかった」などと確定的にコメントするのは、靖国という「官製神話」を信じている者あるいはその属類だけだ。

日本人の「隠す文化」は安倍政権にはとりわけ色濃く継承されている。財務省の文書改ざん問題はその最たる事例であろう。都合の悪い文書を、すぐに廃棄してしまうのも安倍政権の大きな特徴だ。

戦後75年たっても、日本人の悪弊は何ら変化していないことの証明といえる。民主主義の民度がどこまで高い社会かどうかは、情報公開の原則が確立・徹底されているかどうかに顕著に現れる。公明党にもこうした意識がけっして高いように思われないのは、個人的には残念なことである。

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