C作戦「謀議」の夏から30年

日蓮正宗がC作戦を謀議した夏から30年の節目となる。

1990年7月18日、大石寺において宗門最高幹部らによる謀議がなされ、その年の12月、池田名誉会長のスピーチ内容に関し「ベートーベンの第九は謗法」と難癖をつける文書を送りつけ、法華講総講頭を一方的に罷免するに至った。翌年11月には、解散勧告書などを送付してくることでこの作戦が実行された。

Cはカットの頭文字で、日蓮正宗から創価学会を切り離すとの意味だった。創価学会は戦後の窮乏を極めた日蓮正宗総本山の大石寺を守り、多くの供養を行ってきたが、信徒数が増えるにつれ、宗門側の金銭感覚がおかしくなり、坊主らの芸者遊びなどが社会問題化するようになり、学会側から再三再四自粛を求める要請が行われていた。そうした求めを疎ましく感じていた宗門側は、信徒が20万人残れば我々の生活はしていけるとばかりに、冒頭の謀議決定に及んだ流れがある。

1991年11月、創価学会側は自ら意図せず、前近代的な宗教様式である日蓮正宗から切り離されたことで、逆に、世界宗教として羽ばたく機会を得たと評価する識者は多い。学会側は翌92年を「創価ルネサンスの年」と命名し、活動を新たな形でスタートさせた。

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