「さ」のつく新聞

私は1990年代の後半から2000年代の初頭まである記者団体の事務局を務めた時期がある。毎月講演会のような勉強会を催すために講師を招へいするのだが、イラク戦争の前後だったと記憶するが、作家でジャーナリストの辺見庸氏に講演してもらったことがあった。聴衆は100人近く集まって会としては珍しく盛会となったが、非常に印象的なことがあった。講演の中で辺見氏は「さのつく新聞」と何度か言及したのだが、それがその新聞の固有名詞を口にすることすら汚らわしいという心情を表現する意図の行為であったからだ。全国紙で「さ」の字で始まる新聞は一つしかない。その新聞は、南京虐殺を否定する唯一の全国紙で、ほかにも共同通信の国際記者の目からすると、およそ新聞という名に値しないものとして映っていたのだろう。だからこそそのような取り上げ方をしたのだと記憶する。いまこの新聞が、大手を振るって自己主張する時代となっている。日本が内面から劣化している状況は、当然といえば当然の結果であろう。嘘がまかりとおる社会は、必ず劣化し、最後は滅びるしかない。

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