島国気質の脱却へ

本日付紙面で学童疎開船「対馬丸」の撃沈事件から81年となるニュースが散見された。1944年8月、地上戦が想定されていた沖縄から、九州などへの疎開方針で学童の乗った船などが本土に向かったものの、「対馬丸」が米軍により撃沈され、学童など1500人近い乗船犠牲者を生んだ事件である。私は沖縄空手家の伝記を書くために20世紀の沖縄について取材したが、関係者にこの事件で生き残った生存者がいたので、一層記憶に残る。調べれば調べるほど初めて知ることばかりで、たいへん勉強になった。たとえば、徴兵制があった時代、沖縄県だけが専属の部隊が置かれず、九州各県の部隊に分散編入された事実。これは沖縄が差別されていたことを示すもので、北海道にすら部隊はあった。さらに沖縄戦の様相を知る貴重な機会となった。県庁壕など主要な壕にも実際に入った。那覇市にある対馬丸記念館にも当然訪れている。関連書籍で母親が沖縄人である佐藤優氏の文章なども興味深く読んだ。戦後も沖縄への差別感情は強く、大阪や神奈川などで沖縄部落と呼ばれる集住地があったことも知る。現在でいえば埼玉県のクルド人だ。世間では「島国根性」の気質とよく言われるが、日本人には極めて閉鎖的な側面がある。この体質を克服していく努力をしない限り、日本に「共生社会」など作れるわけがない。いまはそのせめぎ合いの過程と捉えているが、対応は待ったなしの段階だ。

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