人にやさしい政治

私がこの言葉を初めて耳にしたのは、社会新報に勤務していた1994年のことだ。ほとんどの国民が予期しなかった村山富市社会党首班政権が突然誕生し、村山新首相がモットーとして語った言葉だったと記憶する。そのときはなんと凡庸なことをいうのだろうと半ば軽蔑した気持ちがあったが、いまとなっては政治家にとっての生命線であり、政治の王道を示す言葉だったと感じている。なぜなら政治は国民・有権者、住民(外国籍を含む)の幸福実現のために存在するからだ。その目的に沿うならば必然的に導き出される法理は「人に優しい政治」ということに尽きる。人に優しい政治が行われているかどうかのバロメーターは、弱者に対してどのように接しているかが計りやすい。例えば第2次安倍政権ではあるテレビ芸人の母親が生活保護を受給していたことが発覚し、生活保護者バッシングが政治分野に及んだ例だった。支給額が減額されたが、このほど最高裁はそれらを違法として断罪した。石破内閣の厚生労働省はその対応にあたふたしているようだが、これは安倍政権が「人に優しくなかった」ことを示す好例といえる。要するに政治の基本を疎かにしていたという意味だ。現在の状況に照らせば、外国人に対する向き合い方がその好例だろう。自公政府は2004年から5年間、オーバーステイ外国人(いわゆる不法滞在者)の多くに在留特別許可を認めることで、不法滞在者の数を数字上減らすことに躍起となった時期がある。ところが現在は、日本に家族単位で10年20年と定着している難民申請家族を次々に強制送還。お前らの将来など日本人の俺たちには関係ない、とばかりの強行措置を取っている。これは石破内閣における「人に優しくない政治」の例だ。弱者の中には、生活保護者や外国人だけでなく、フリーランスも含まれる。広くいえば非正規労働者だが、そうした人々がどのような扱いを受けているかも、社会の規範を示す一つのバロメーターだ。その場合、強者の立場に立つのは、外国人であれば日本人であり、フリーランスであれば正社員だ。相手の立場を自分の身と置き換えて考えれば適切解はすぐに出てくるはずだが、それができないと保身と事なかれ主義に走りやすい。結論するに「人に優しくない」社会・団体は、繁栄することができない。最近のわかりやすい例は、気に入らない党員を次々に除名・除籍して社会的に驚かれている日本共産党だが、同じことはどの組織・団体にも言える。「人に優しくない」団体は衰退する。これは確たる法則といってよい。

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