世論戦で後手に回った公明党

今回の参院選の大きな特徴は排外主義の風潮が顕著だったことだ。社会の不満を吸収する形で外国人排斥を訴えた政党が都議選で躍進したことをきっかけに、おれもおれもと立憲・共産等以外の多くの政党が“追随”した。マスコミからあまり指摘されないことで命拾いしている面があるが、公明党もその例に洩れない。ただし公明党はその選挙政策方針を最後の一週間で大きく転換した。それが7月15日に党代表自ら発表した党声明「対立を超えて、誰もが安心できる平和と共生社会の構築を」だった。だが、遅きに失した。そこで述べていることは公明党の理念からすれば当り前のことであって、さらにそこに書かれていることは総論のみで、共生社会を構築するための具体的な政策については何も語られないままだった。要するにポーズを示しただけで、政党として本来競うべき具体的な政策案は何も示していないに等しいものだった。もともとこの声明の方針は、そのまま選挙戦の当初から掲げるべきものであったが、情勢に対して受け身となり、最後に自らの立ち位置を明らかにしたところで、世の中は何も変わらない。むしろこの選挙戦で明らかになったことは、公明党が外国人政策について政策の蓄積を行っていないようにしか見えないことだった。もともとこのテーマは集票につながるテーマではない。それでも責任ある与党として、日本の未来社会を預かる以上、政策的に具体化し、深めておくという「基本的な準備作業」は不可欠だった。だがそれが不十分だったために、選挙戦の最中において大きくブレることにつながった。結論するにその責任の大半は、山口代表、石井幹事長時代の「先見の明」のなさに求められる。

選挙戦の冒頭から、「共生社会」を理念として打ち出すことに躊躇はあったかもしれない。なぜなら公明党ほど世論に敏感で臆病な政党もないからだ。だが選挙戦においては、堂々と自らの理念を発信することこそが根本だ。移ろいやすい有権者の気分に合わせるのではなく、日本の未来社会の責任を担う政治家としての自負こそが必要だったと感じる。いずれにせよ、外国人との共生のための政策は多岐の分野にわたる。その具体論を選挙戦で訴えることこそが「責任ある与党」に求められることだった。だがそこに政策的な“大きな穴”があることは明らかだった。同党が戦略的な政党として機能していないことを意味する。

付言するに今回は唯一の女性候補(現職)すら落とす結果につながった。本来なら当選圏内にあった選挙区7人・比例区7人のうち、女性候補者は各2人、計4人は最低限必要なはずだった(それが公明党の女性国会議員3割達成の公約に沿うものだった)。だが最初から自らの公約を投げ捨てた姿勢は何をかいわんやだった。同党は支援者に応援を依頼する以前に、自分の言ったことをきちんと約束を守って実行する姿勢こそが求められる。参政党が女性候補者を前面に押し立てて効果的に集票を図った姿勢と比べると、最初から戦略面で劣っていた。

付言するに、比例票で500万票の大台を維持できたのは幸いだった。「支持母体『創価学会』の組織的低下も響いた」(本日付毎日)との指摘は真っ当だ。教団が政治に関わる本質的な目的を会員とともにいま一度再確認し、信仰活動を主体とした組織再構築を図る必要がある。そのためにはやはり新しいリーダーが必要と感じる。

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