白鳥警部射殺事件から70年

1952年1月21日の夜7時30分すぎ、札幌市内で当時の札幌市警・警備課長だった白鳥一雄警部が自転車で帰宅する途中、後ろから尾行していた日本共産党員によって銃撃され、2発のうち1発が背中を貫通する事件が発生した。この殺害計画は1カ月前から組織的に計画され、山中での発砲訓練や素行調査などが行われた。銃撃犯となった党員はその数日前にも本人の背後から一度は発砲したのだが、このときはカラ撃ちでたまたま弾が出なかった。ただし相手に気づかれることもなかった。行動が事前にわかっているわけではない同警部を暗殺するため、犯人はその後も祈るような気持ちで遭遇する機会を待ち、実行したということだろう。驚くべきことは、相手が自転車で移動している後ろからくっつき、そこから片手で発砲したとみられることである。ほとんどアクロバットともいえそうな芸当で、それで致命傷を与えたのだから、テロリストの立場から見れば大成功だった。この人物は北海道の党幹部の手でさまざまな飯場などで労働しながら身を隠しつづけ、しばらくして日本本土に移され、最後は同党の当時の専用密航船で中国に運ばれた。その後、望郷の念をもちながらも、日本に帰国することはなく、中国でその生を終えた。帰国していれば、日本の警察によって即座に逮捕されたことはいうまでもない。その意味では帰国することが許されない存在であり、共産党の暴力革命路線の犠牲者だった。

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