私の反省

あの柳原が自分で反省だなんて?と思う人がいるかもしれない。しかし私は今反省の真っ最中だ。その内容は、ツメが甘すぎたという一点に尽きる。

このサイトを旧バージョンで開設したのは2004年3月16日のこと。日本共産党に民事訴訟を起こされ、一方的な攻撃に対抗するのが目的だった。同時に当時、週刊新潮の札付き記者として知られていた門脇護についても批判を加えた。私にとっては日本共産党と門脇は、このブログの大きな出発点ともいえる。

すでに忘れている人も多いようだが、門脇は週刊新潮時代、信平信子という婦人のデマ手記を掲載した張本人だ。取材では、強姦されたという主張を前に、ふつうならその根拠や裏付けを確認して厳密に検討を行うはずが、この門脇は、それを十分にしないまま、さらに事件をセンセーショナルに報じるために、裁判を起こすように信平夫婦に直接勧めた張本人である。

信平が弁護士のところに相談に行くのにもわざわざ同行している。それでその弁護士が証拠がないので訴訟を起こせないと断ると、門脇は自分の人脈を使って、別の弁護士をつけて、訴訟を起こさせた。さらにそれを奇貨として、キャンペーンに発展させ、口頭弁論のたびに蒸し返すということを行った。要するに記者としての「自作自演」行為である。

結論として、強姦されたなどという主張は、まったくの偽りにすぎなかった。強姦されたというそもそもの場所が航空写真によって存在しないことが発覚したほか、事実の裏付けは最初から何もなかった。いや、門脇自身が何も確認しないまま、記事は垂れ流し続けられたのである。

いまこの門脇護こと「門田隆将」らがどう言っているかというと、創価学会は裁判すら起こさなかったと言って自己弁護を図っている。もともと事実無根の中傷話に、自分のほうから民事裁判を起こせば、ますます騒ぎが大きくなることは明らかだった。もともとそれを狙っての中傷キャンペーンである。

このとき池田名誉会長が被った報道被害のレベルは、戦後の著名人が受けた報道被害の中でも最たるものだったと思われる。

いまこの門田隆将は、自らの絶頂期を謳歌しているようだ。日本の言論界の自浄能力のなさには呆れるばかりだが、いま彼が何を言っているかといえば、最近の著作では「創価学会は日本一の圧力団体」などと教団攻撃を始めている。その主張が仮に事実であれば、上記のような捏造加担、自作自演を行った劣悪記者が、野放しにされるはずもなかろう。「圧力団体」どころか、どこまで行っても「寛容な団体」のお手本のようなものである。

いま同人は、「言いたい放題」のモラルなき姿を満天下に自ら示している。

本来ならもっと早く、完全に(記者としての)息の根を止めておくべきだった。反省しきりの昨今である。

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