旧日本軍の「悪弊」を継承した安倍政権

戦後制定された日本国憲法の3原則の一つ、国民主権の前提となるのは知る権利であり、情報公開の原則である。ただしこの国に寄らしむべしの慣習が長らくつづいたせいか、いまも「官」のチカラが強く、情報公開の原則は先進国の中ではおよそお粗末なレベルのまま推移してきた。森友学園事件について、安倍首相が自分や自分の妻が関与していたら首相だけでなく国会議員も辞めると国会答弁した発言を都合よく忖度した官僚たちが、公文書を改ざんした問題などはその典型的な表れである。戦中、戦犯になることを恐れた旧日本軍関係者が一斉に都合の悪い文書を焼却した。その精神性が70年以上たったいまも見事に受け継がれている現実を示している。確かに戦犯になるのは嫌だろう。避けたいだろう。そう思った当時の関係者の行動はいまさら覆ることはない。ただしその後、民主化された日本社会において、時の政府が「あの行動は間違いだった」と糾すことはいくらでもできたはずだ。その償却された史料の中には、日本軍が慰安婦を強制連行したことを証拠だてる文書すらまじっていた可能性がある。だがこれまでの日本政府は終戦時の証拠隠滅行為を誤りとして正さないままこれまで来た。その帰結が、安倍政権のとった行動にすぎなかったと考える。自民党と連立を組む公明党は、その倫理性のレベルにおいて、自民党と同等であっては意味はない。この問題を真っ先に主張し、取り組むべきは、本来は公明党のはずである。

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