死者を冒とくする門田ノンフィクション

75年前のちょうど今の時期、沖縄では沖縄戦の最終盤で、多くの県民が犠牲になったことは繰り返してきたとおりだ。沖縄軍の最高責任者であった牛島満司令官、長勇参謀長が6月22日から23日にかけて自決した。一方で行政の県知事も自決した。島田叡という本土の内務省から派遣された官選知事が後を追うように姿を消したからだ。この知事に関してノンフィクション『敗れても敗れても』(2018年)の中で「沖縄に散った英雄」と章立てしたのはノンフィクション作家の門田隆将である。

私はこの文章を目にして、死者を冒とく行為と感じた。なぜなら本人が「英雄」と持ち上げられることを望んでいるかといえば、決してそうではないと考えるからだ。事後の歴史から振り返ると、英雄でもなんでもなく、自分の職責に忠実に生きたとしか本人は思っていないだろう。むしろそこにあえて「英雄」と付加価値を付ける行為は、この戦争が正しい戦争であったというバックボーンがないと出てこない発想と考える。

門田が靖国史観を信奉し、日本人は正しかった、素晴らしい民族であると宣揚したいとしてもそれは本人の自由だが、過去の死者の価値を自分のイデオロギーに染めて煽るのは、死者を貶めている行為にほかならない。戦争で死んだ日本人はみな「英霊」であると強弁する靖国思想(カルト)の必然的帰結ではあろうが…

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