ホモ・サピエンスとしての人間は肌の色合いや各個人の身体的特徴の違いはあっても、基本的な形状は同じである。目が後頭部に付いていたり、足が3本ある人はいない。そのように人間の構造が基本的に同じ形状であることから、「武術」の方向性や指向性は収斂されていく。違う武術であっても似たような身体操作を行い、同じような考え方が出てくる現象はよく見られる。一方で政治も似たような側面をもつ。世界各地に人類が生息し、それぞれの国家を形成しているものの、一人ひとりの人間としての欲望や感情は基本的に場所は違っても同一である。その結果、国家というものが究極的にどのような方向に収斂されていくかもある程度方向性が見通せる。いまから120年以上前、日本が生んだ地理学者・牧口常三郎は、人類の行き着く先を「人道的競争」と位置づけ、将来は人道面に収斂されていくと予測した。2025年の現時点においてはそのような「競争」が明確に起きているわけではないが、いずれはそちらに向かうしかない。それが人類の方向性でなければ、戦争ばかりして自ら滅亡する愚かな道に入りかねない。だがホモ・サピエンスはそこまで馬鹿でもなかろう(と期待する)。要するに生命尊厳の哲学に立脚する政党である日本の公明党の方向性は、最初からはっきりしている。その後創価教育学会の会長となった牧口の予言どおりに、「人道の旗」を掲げ、その方向に邁進すればよいだけだ。だが昨日たまたま目にした落選議員の会なる面々の映像のやりとりを聞いていると、そうした共通目標すら持てていない現状が浮き彫りになっていた。同党はできるだけ速やかに牧口初代会長譲りの「人道的競争」の旗を掲げ、その方向にむけ全議員が一致団結し、世界を巻き込んで進むべきだ。私は次の党代表に、そのことを託したい。