フル・オープン会談の弊害

トランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談は大失敗に終わった。幾つか理由がある中で最大のものは50分の会談すべてをマスコミに公開したことにあったと感じる。なぜならそのことによって率直に行うべき会談が、互いの有権者向けのパフォーマンスの側面を必然的に生み出す結果となったからだ。ゼレンスキー大統領には何の悪意もなかったのだろうが、バンス副大統領に対し、「あなたが言う外交とは一体どういう意味だ」と問いかけたことに対し、回答せざるを得なくなったバンス氏は「米国のメディアの前でそのような訴えをするのは失礼だ」と返した。それはそのまま本心だったろう。ゼレンスキー大統領には「戦時大統領」としての自国民の安全を背負う確かな自負があり、ウクライナの実態もよく知らないはずの新米副大統領を軽く見たような印象も受ける。さらに米国と欧州の間には「素晴らしい海がある」とのゼレンスキー氏の一言が、トランプを切れさせたとも指摘されている。つまり、素晴らしい海が間にあり、そのため米国はウクライナの現状が肌身でわからないとの趣旨をゼレンスキーの言葉は含んでいたが、この「素晴らしい海」の表現は、トランプが数日前に自ら述べた言葉だったというから、トランプ大統領にとっては自分を直接批判した嫌味の言葉と受け取ったにほかならない。この“トラの尾”を踏んだことによって、実質的に交渉は決裂した。私はこの様子を見て、1年前の日本共産党の党大会のことを思い起こした。4日間の期間中、1日目と4日目の様子がインターネットで全国中継され、公開された。4日目のその場で、田村智子副委員長は今ではあまりにも有名になった「パワハラ演説」を行い、新委員長就任前から“女スターリン”の異名を冠せられることにつながった。これなども会合が「非公開」であったなら、大した問題も起きなかった出来事だったと感じる。一つの場面を公開するかどうか、具体的にはテレビカメラが入ることを許可するかどうかは、ことほどさように状況を大きく左右し、党勢を変化させる。小泉純一郎内閣が長続きしたのは、こうした判断にたけた飯島勲という秘書官がいたことはよく知られている。この能力はひとえに「広報の能力」と言い替えてもよい。

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