閲覧制限の肥大化

裁判所で裁判記録を読むのは取材活動の一部にすぎませんが、最近は裁判記録の閲覧マニュアルのような本も出ていて、東京地裁の記録閲覧室は以前に比べてかなり混雑しています。最近の新しい傾向として困っているのは、記録の閲覧制限が安易に行われているように見えることです。たとえば性被害に関する損害賠償事件などの場合、女性被害者のプライベートな情報が必然的に入っているため、その部分だけ「非開示」にするという措置は理解できます。その種の案件はままあると思います。ところが最近はプライバシー権の範囲が意図的に拡大されているように見え、個人的なメールのやりとりといった証拠物ですら、閲覧制限を申し立てればそれらが認められて、閲覧する手段がなくなるという状況が頻繁に生じています。例えば私は最近も門田隆将というデマ作家が、自分のノンフィクション作品を映画化したいと申し出た映画監督との脚本料トラブルをめぐって民事裁判になっている事例の記録を閲覧しました。訴えたのは門田本人ですが、その門田側が自分と映画監督とのやりとりを示すメールの証拠すべてを和解終結後に「閲覧制限」を申立て、第三者はだれも見れないようにしてしまったのです。これはむしろ裁判所の判断が“甘々”なのですが、これがまかりとおるようになれば、裁判の公開原則は瓦解したに等しくなります。この事件では和解の結論すら、閲覧制限がかかっている状態です。事件によっては情報公開請求で出てくる際のノリ弁のように、ほとんど墨塗りの状態になっている書類も多く目につきます。いずれこの件は社会問題化すると思います。国民市民の「知る権利」と密接に関わる問題だからです。知る権利を体現する側の取材者の立場としては、裁判所においては閲覧制限は極めて抑制的に判断してほしいと要望しておきます。

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