本日付の産経コラムに「靖國神社・遊就館で学ぼう」という文章を目にした。そこで次のように書かれている。「もうすぐ終戦から79年の夏を迎える。国のために戦った戦没者=英霊をしのび、その尊い犠牲の上に今の平和があることを感謝し、平和への誓いを新たにする場所は、靖国神社がもっともふさわしいと強く思う」。まず前提として、靖国神社には国のために戦った戦没者が「全員」祭られているわけではない。総力戦として戦わされた80年前の戦争において「国のために戦った戦没者」の定義は簡単でない。兵隊だけととらえるのは、大きな間違いだろう。まして兵隊が戦争を続けるためにそれを慰安した女性たちなどもここには入っていない。都合のいい、戦争遂行のために造られた官製神社であることがこの事実からも明らかだ。結論するに、遊就館が示す歴史観は、未来志向のそれではない。日本人は正しかった、しっかり戦ったとの自慰行為に凝り固まった、言い訳に基づく歴史観にすぎないからだ。