産経のチープ歴史戦

安倍晋三元首相の政権の成果を大きく括れば、日本を戦争のできる国に作り変える、あるいは戦争をしやすい国に作り変えることにあったといえよう。同時にこの国の歴史認識のあり方についても大きな変革(改悪)をもたらした。その焦点となったのは過去の戦争の慰安婦問題だった。戦争当時、「慰安婦」という言葉は実際は存在しない。当時、日本軍を慰安する女性たちは官製用語では「酌婦」などと呼ばれていた。安倍元首相はこの問題で朝鮮半島から強制的に女性たちを駆り出して慰安婦として強制連行したという史実について、なかったもののようにさまざまな工作を行った。一つは93年の河野官房長官談話の否定作業である。産経新聞はそのための「道具」に自ら志願し、「歴史戦」と名乗るチープな行動を始めた。要するに、歴史の真実追求、事実の確認というジャーナリズムの基本を忘却し、ひたすら河野談話を攻撃することで、あたかも慰安婦強制連行がなかったかのような幻想に浸る行為に走ったからである。それらは当時の日本社会に一定程度波及し、いまもその影響が残る。ジャーナリズムとして大事なことは事実はどうであったかだ。それは厳密に考証される必要があるし、範囲はアジアという膨大な広範囲にまたがる。慰安婦の様相がどのようなものであったか、それは場所や時期によってさまざまであったことは言うまでもない。朝日新聞は、それらの「事実」をジャーナリズム機関として総力をあげて取材し、強制連行があったかなかったかを含めて結論づけるくらいの段階で、過去の記事で誤りがあったとすればそれを取り消すという過程を踏めばよかったはずだが、事実関係を実際に確定する前に記事を取り消すという「愚」を犯してしまった。もったいないことである。朝日新聞には優秀な記者が大勢いるはずだが、それらの選りすぐり集団で一定年月かけて調べれば、結論は出たはずだ。だがその作業を中途半端にしたまま、安倍政権に“ひれ伏した”ことによって、何が真実であったかがますますわかりにくいものになった。いまや朝日新聞にとって慰安婦問題はタブーであるかのようにさえ見える。産経新聞のとった当時の行動が最高権力者の尾っぽに寄りすがる“チープ歴史戦”であったとすれば、朝日も腰を据えた事実確認というジャーナリズムの基本を忘れ、日和った行動をとった。その結果、朝日はいまだに慰安婦問題の最終論証を行っていない。要するに逃げ続けたままだ。

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