権力は人間を狂わせる

東京狛江市といえば、長らく共産党員市長が続いた自治体として知られていた。そのため地元警察との折り合いが悪く、防災訓練に自衛隊を呼ばないといった悪弊が続いていた。その後、保守系の市政に変わり、仕事で2度ほど新たな市長を取材する機会があった。保守系市長は都職員あがりの人物で、共産党員市長が故意に欠落させてきた市政のピースをうまく補ったように見えた。だがその市長はその後、セクハラ問題で辞任を余儀なくされる。表の取材などからは見えないところで市の女性職員に執拗なセクハラ行為を行っていたという。このようなことを思い出したのは、昨今、似たような首長のセクハラ問題が取りざたされるからだ。権力は人間を狂わす“魔酒”のようなもので、人間を勘違いさせる最たる要素の一つに位置づけられる。そのとき問われるのは自身の内面の働きともいえるが、その部分をどのように鍛えればいいのか、もちろん学校などでは教えてくれない。そのメカニズムは人間心理の最たる分野であり、人間の内面を説いた仏教なかんずく法華経に解決策を求めたのは創価学会である。同教団の第2代会長である戸田城聖はその働きを「権力の魔性」の言葉で説明し、“魔酒”に狂わされない信仰を備えた議員の輩出を願った。それでも公明党から幾つかの不祥事が生まれたことは現実であり、また当初から想定されたことでもある。権力に狂わされないメカニズムへの回答は、教団の信仰の中にある。次元は異なるが、そのことを日々実感しながら私も生きている。

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