盗用作家の人格特性

門田隆将こと門脇護の特異な性格は業界内では「週刊新潮」時代からかなり知れわたっていた。オレがオレがの我が強すぎ、編集部内でも特に後輩たちに煙たがられる存在だったからだ。部下に人望がなかったことは本人も認めている事実である。もともと思い込みがやたらに強く、視野狭窄的な行動が目立つ人間だった。昨今見られる同人の極端な高市早苗「一押し」の政治活動もその一例だ。だがその思い込みの強さという人格特性は記者活動にあっては反面材料を軽視する行動に陥りやすく、これまで数多くの「誤報」を重ねてきた(世紀の大誤報や捏造報道を含む)。それらは週刊新潮在籍時代も、フリーになったいまも、実態は何も変わっていない。その点では「一貫した」人間にちがいない。新潮社時代は、自らのデマ記事が原因で同社の佐藤社長を非公式ながら謝罪に追い込み、編集部にいずらくなったようだ。もともと『週刊新潮』の編集長になると見られた時期もあったが、副編集長のまま2008年春に新潮社を退社し、独立することになる。独立後はまともに仕事をしているように見えた時期もあったが、その後、日本の社会風潮の変化に合わせて「ネトウヨ」に転じた。特に月刊『WiLL』に連載をもつようになってからその傾向が顕著になった。もともとオレがオレがの特異な性格は人を押しのけて自らの主張を発言するネット番組などとは相性がよかったといえる。だがその主張内容は、靖國勢力などの極端な右派の主張を代弁するもので、ステレオタイプの主張ばかりが目立つ。近著『尖閣1945』はノンフィクション作品を装っているが、著者本人の妄想による会話が多く散りばめられており、純粋なノンフィクションとは言い難い面がある。正式には、著者の妄想入りのノンフィクションふう作品として売り出すべきものだろう。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。