20年前の思い出

日経夕刊に「人間発見」という5回ほどの連載で人物を取り上げるコーナーがある。今週月曜の2日付で見たことがある女性が出ていると思ったら、元裁判官の髙部眞規子さんだった。記事では「女性初の知的財産高等裁判所長を務めた」と前振りされている。いまから20年前の9月のことになるが、私はこの方と東京地裁の法廷で初めて顔を合わせた。私はとある民事訴訟の被告の一人であり、この方が裁判長だった。そのとき東京地裁の知財部の法廷だったが、なぜこの裁判に私が関わることになったかといえば、ある政党から名誉毀損で出版書籍を訴えられ、さらに訴えの中に著作権法違反も入っていたからだ。その政党、日本共産党は拉致問題などに関する出版物(私が取材執筆した)を訴え、出版社と著者、その他車内吊り広告をした関係会社まで訴えていた。結局この裁判は和解で終結し、共産党側は一銭の金銭賠償も得ることなく、事実上の「取り分なし」で終わっている。私は記事には名誉毀損箇所(事実と異なる箇所)は一行もないと主張していた。さらに著作権法違反のほうも、同党の過去の機関紙(アカハタや前衛)の内容をそのまま巻末に「資料集」として添付したことを同党は著作権法違反として訴えたものであり、極めて恥さらしな裁判といえた。要するに過去に自らの機関紙上に掲載した内容が、いまとなっては不都合なものになっているということだったから、両刃の剣そのものの訴えといえた。この裁判で私が初めて出廷したのが20年前の9月であり、髙部裁判長は公正に訴訟指揮をとっていただき、共産党の持ち上げたコブシを降ろしてくれた。結果的に、私にとっては守護する働きをしていただいた方との認識がある。

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