公明党の存在価値

日本で唯一の宗教政党である公明党が、まだ政党でなかった“前段階”の時代に、政治への進出を決断したのは創価学会の第2代戸田会長だった。1955(昭和30)年に地方選挙に候補者を出したのが嚆矢であり、翌年の国政選挙(参議院)にも挑戦した。公明党の結党は1964年、第3代池田会長の時代になってからだが、1955年から数えてすでに68年の歴史がある。なぜ宗教団体である創価学会が政治に人を出したのか。それは自民党と社会党に2分され、そこから洩れていた多くの大衆のための政党が必要との判断があったこと、さらに馴れ合いとなっていた政治を向上させること自体にあったことはいうまでもない。その方針は創価学会のためでなく、国民大衆のために仕事をしろといった当初の指導方針からも明らかだ。だがその方針はいまではブレが目立つことがある。目先の選挙に勝つことが優先され、多くの発想の起点がそこから出発するとき、当初の方針とのブレが生じてしまうからだ。国民 (日本国籍を持たない外国籍市民、無国籍者を含む) や有権者はバカではないので、公明党の行動が、国民の幸福を願っての行動なのか、そうでないかは敏感に察知する。同党は一つの教団のためでなく、国民や有権者の利益のためだけに動くべきであって、そこから「軸」を1ミリもずらすべきでない。その方針を堅持してこそ、初めて、同党の支持団体も社会から評価されることにつながるはずだ。その原理を揺るがせにしないことが、同党飛躍の「最短距離」につながる。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。