目的と手段の混同

自民党と公明党の選挙協力をめぐるゴタゴタが連日テレビなどでも報道され、すっかり世間の関心事にのぼる。互いに別の政党であり、考え方も違う。それでもこれまでやってきたのは互いに譲り合う精神がまがりなりにもあったからだろう。私は安倍政治をほとんど評価できない立場だが(理由は後述)、第1次安倍政権で無残な退陣の仕方をして無念の思いにかられていた安倍元首相が、第2次政権で権力に返り咲いた際、選挙に勝ち続けることを至上命題と心得たことは自然な流れだったと思われる。そのための手段として、公明党と意思疎通をはかり、丁寧な選挙協力を必須とした。さらに「岩盤保守」といわれる自らの支持勢力を背景に戦った結果、国政選挙6連勝を果たすことができたといわれている。一方の岸田首相には、第1次安倍政権で安倍元首相が経験したような身につまされるような挫折体験がない。その結果、選挙協力の交渉や内容をさほど重視せず、約束を守らない幹事長(自らの部下)を使いつづけ、現在の紛争を招くに至っている。もちろん双方に言い分がある問題であり、一方が100%善とか悪と決めつけるつもりはない。

それでも「政治は数」であることは紛れもない事実だ。より重要なことは、その「数」を使ってどのような社会をつくっていくかという理念と行動とにある。「数」はあくまでも手段にすぎず、後者こそが重要な「目的」なのだが、実際は前者を目的化している傾向が強い。錯誤そのものだ。その結果か、現在の日本社会は分断が進行し、政治の嘘が常態化し、その反動と影響か日本社会でもヘイトスピーチが極端に増え、各分野で差別が横行している。「世界が平和に向かっていると言える人は、まずいないはず」(本日付東京新聞コラム)といういびつな環境下にある。少なくとも、過去に比べ、日本社会が希望を持てる社会でなくなっていることは確かだ。このような粗悪な社会状況をつくりだした政治の責任(なかんずく「安倍政治」が社会に与えた影響)は甚大なものがある。政治権力を維持できたとしても、それで社会が悪くなるのなら本末転倒そのものだ。苦しむのは社会で懸命に生きつづける大衆である。

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