東村山の構図13 歳月が浮き彫りにするもの

個人的に白鳥事件という71年前の事件を追いかけてきた。共産党摘発の先頭に立っていた警察官(警備課長)を 日本共産党札幌委員長(当時)を中心に 計画的に殺害した事件である。委員長は逮捕されたが完全黙秘を貫き、無罪運動の花となった。殺人罪で懲役20年の刑を受けたが、網走刑務所にあっても、全国から多くの支援者が応援した。当時の革新勢力である共産党や社会党だけではない。創価学会員にも及んでいた。この運動がどれほど広範囲な国民運動となっていたかの証左だ。ある学会員は毎日1万回の題目を唱えれば間違いなく釈放になるから「だまされたと思ってやってみなさい」と書き送った。委員長は仮出所の日、その学会員の手紙を網走刑務所の正門前で読み上げた。その後も委員長の「無実」は社会で広く信じられた。形勢が変わるのは海外(中国)に逃亡した実行犯らの動向がきっかけとなった。帰国した関係者の一部が真実を暴露し始めたからだ。その内容は刑事裁判で証言した3人の元党員らの主張とほぼ同一のものだった。真実は歳月とともに浮き彫りになることの好例だが、虚偽は永遠には続かない。この真理は、東村山市議転落死事件においてもまったく同様である。

事件発生当初はさまざまな思惑から多くの虚偽情報などで混乱したが、後から振り返れば、明確に「真実」が浮き彫りになる。正直者で優しい性格だった朝木明代は、自らの万引き事件に自責の念を覚え、娘や同僚の未来を案じ、自ら命を絶とうと考えた。それもかなりの思い付きのレベルだった。だからこそ山の中などで計画的に自害するのではなく、公然たる繁華街の中で突発的に行った。ハダシで飛び出し、ビルの高所に立った。真実はそこに尽きる。

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