浜四津敏子の挑戦から30年

ちょうど30年前の1992年も参議院選挙の年だった。このとき公明党は東京選挙区に47歳の女性弁護士を立てた。それまで同党は矢野絢也などの金銭不祥事が続き、党全体で暗雲が漂っていた。その中にあって、潔癖さと素人臭さを売り物に、浜四津敏子は創価学会婦人部の絶大な支持を得ていく。何もかもが異例だった。当選からわずか2年後には大臣に就任。羽田内閣の環境庁長官として、たった2ヶ月ではあったが閣僚の椅子に座った。さらなる異例は、公明党の新進党への合流、分党の流れの中で、参院議員と地方議員の党となっていた公明の代表を短期間務めたことだ。1998年のことだが、その期間は振り返ると1年に満たない。それでも強烈な印象を残しているのは、「ヒューマニズムの政治」を標ぼうし、あくまで理想論を前面に立てて押し進んだことだろう。過去にもその後にも、このような主張を通そうとした公明党代表は見当たらない。まして同党の女性代表は唯一だ。彼女が立候補にあたって出した著作には、次の世代になるころには核兵器廃絶も実現できると信じている旨の記載がある。またなすべき政策課題として、選択的夫婦別姓、死刑廃止、永住外国人の地方参政権の実現などを挙げていた。それから20年以上過ぎているが、いずれも日本社会では現実のものとなっていない。浜四津元代表は参院議員を3期18年務め、2010年に65歳の若さで引退した。翌年、落選中だった冬柴鉄三前代議士が急逝。これにより、党内で永住外国人の地方参政権を主張する議員はほぼ見当たらなくなった。

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