共生社会の礎

私が20代後半から30代初めにかけて勤務した社会新報で得た最大の財産は、人権問題に関する志向性を得たことだった。日本社会党の運動と密接に結びついていた部落問題、アイヌ、在日コリアン、在日外国人(ニューカマー)の大きく4つのテーマがあったが、当時の私は後者の2つを熱心に追いかけ、独立した後もその傾向は続いた。永住外国人に地方参政権を付与する問題を熱心に取材したのもその流れにある。すでに亡くなった父親が日本社会党員でなければ勤めることもなかった職場だっただけに、感謝の思いは尽きない。

 永住外国人に地方選挙権を付与する運動は、公明党の冬柴幹事長(当時)が熱心だった。その後、同氏が亡くなった後は公明党でこの問題に熱心に取り組む議員の行動を耳にしたこともない。民主党政権の一時期、この法案が成立直前まで行きかけたことはあったが、それがとん挫した以降は、第二次安倍政権における急速な右傾化とそれに伴う「嫌中嫌韓」風潮の高まりで、話題にのぼることすらなくなって久しい。この問題はもともと人権問題として始まっているが、実際は日本社会でどのような「共生社会」をつくっていくかという未来志向のビジョンと直結している。

 この問題をもう一度きちんと前に進めることが、日本の将来にとって必要である。こういうことを言い出すと、いまでは「お前は中国のスパイか」などの言葉が飛んでくる昨今だが、こうしたいびつな社会環境を作りだした多くが「安倍政治」の影響によるものであることも明らかだ。「安倍政治」は公文書改ざんなどのウソとゴマカシの政治を生んだだけでなく、ヘイトの蔓延、憎悪感情の拡張、公然たる差別の顕在化など、多くの負の遺産を日本社会に拡散した。その影響はいまも増大するばかりに見える。こうした「負の政治」をそのまま継承するのか、あるいは変革していくのかも、いま行われている自民党総裁選の「隠れたテーマ」であると思う。

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