「国体観念の残滓」がもたらしたもの

日本の敗戦から76年。本日付の新聞には関連記事が多く目立った。本日付の東京新聞コラムで、名古屋の入管施設のスリランカ女性の死去について、「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」と自著で放言した入管幹部の発言を引用したのは、前川喜平氏だ。同氏によると、こうした外国人差別の歴史的な原因は、実際は憲法制定過程にあったという。GHQ案では内外人平等の原則が盛り込まれていたものの、当時の日本政府がそれを削ったという。その背景には、「日本という国を特別な家族だと考える国体観念の残滓があった」と指摘する。この時点で、内外人平等原則が日本国憲法に規定していたとしたら、戦後の在日コリアンの法的地位はまったく変わった経過をたどっていたことは明らかだ。スリランカ女性の映像記録をみた遺族は「犬のように扱われた」と泣き崩れたが、すでに1965年に入管のナンバー2が「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」と発言していた事実はわかりやすい。戦前からこの国にあった国体思想と結びついているとの指摘はより重要だ。

東京新聞の特報面は従軍慰安婦問題の経緯について扱っている。騙されて連行され、毎日何十人もの兵士の相手をさせられた慰安婦たちが「獣の生活だった」と述懐したのは、今日、入管施設でアジアの女性が「犬のように扱われた」姿と完全に重なる。根底には、「日本という国は(天皇を中心とする)特別の国」とする傲り高ぶった戦前・戦中の国体思想がある。その国体思想を懐古し「復活」をめざす者たちが本日、集会を催す。日本会議・英霊にこたえる会が共催する毎年開かれている会合ではあるが、他人の著作から平然と記述を盗み取って賞を受けて恥じない「疑惑の作家」も登壇する。

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