沖縄初の金メダル、喜友名諒選手に乾杯

東京オリンピックで初めて正式競技として認められた空手競技で初の金メダリストが誕生した。男子形部門で昨晩、優勝を手にした喜友名諒選手である。本日付の一般紙朝刊では1面、スポーツ面、社会面と喜友名選手に関する3つの記事を掲載した新聞が多かった。社会面では、同選手の母親が数年前にガンで他界したエピソードをどこも扱っていた。

私が初めて彼らの稽古を取材したのは2018年2月。まだ泊会館(地元の公民館のような場所)を借りて稽古を行っていたころだった(現在は常設本部道場をもつ)。「絶対王者」といわれていた同選手がドバイ大会で決勝で敗れてまもない時期だった。現在の喜友名選手の師匠である佐久本会長にこのとき話を聞いているが、集まった道場生の気迫が異常に高かったのが今も印象に残っている。今回勝つべくして勝った喜友名選手は、沖縄出身の最初の金メダリストになることが有望視されていた。地元沖縄では県庁に空手振興課を新設し、伝統空手の普及に努めていた。あるときの会合に、喜友名選手が妻や幼い子どもと共にその会合に出席していたのを覚えている。パネリストには師匠の佐久本会長がいた。

私は沖縄の空手を取材し、彼らが最初で最後となるオリンピックに賭ける心情を知っていただけに、世の「オリンピック中止論」には傾けない気持ちがあった。私のこだわりはその一点だけだった。沖縄発祥の空手で、沖縄出身の選手が夢を追っている。喜友名選手は優勝後のインタビューで「この舞台に立てたことに感謝したい」と言葉少なに語っていたが、東京オリンピックがいつ中止になるか、不安の中での稽古の日々であったに違いない。その短い言葉には、開催に感謝する心情が含まれていたことは明らかだ。知られるとおり、菅義偉首相は大学時代に剛柔流空手に打ち込んだ元空手家だ。菅首相や小池都知事が「やはりできない」と言い出せば、五輪は中止になっていただろう。多くの野党が「五輪中止論」を大合唱する中、喜友名選手の「この舞台を残してくれた」人びとへの感謝の思いが表れていた。

本日付の一般紙の多くが同選手の金メダルの快挙を大きく報道する一方で、日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」には、沖縄最初の金メダルを報じる文字は一行もない。かわりに閉会式を目前にした今も、「オリンピックの中止を」と都知事に陳情する都議会共産党の記事が掲載されていた。日本共産党が主張するように、オリンピックが中止されていたら、喜友名選手の金メダルは当然ながら存在しなかった。

沖縄の気持ちを忖度しない日本共産党。彼らのビジョンはどこまでいっても「一党独裁」だ。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。