国連管理のカンボジア総選挙から四半世紀

25年前の1993年の今ごろ、私はカンボジアのタケオ州というところにいた。日本政府派遣の選挙監視員として、国連の枠組みのもとで選挙支援業務に従事していたからだ。本日付の朝日新聞の社説に「カンボジア 25年の遺産を失うな」とあったので読んでみると、次のようなくだりがあった。「薄氷の情勢のなか、日本人の選挙監視員と文民警察官も犠牲になった」。これは正しくない。「日本人の選挙監視員」とは、41人の政府派遣の監視員のことをさし、犠牲になったのは日本人の国連ボランティアの人だった。こうした用語の使い方においても、四半世紀が過ぎ去ったという感慨を深くする。

いまカンボジアで独裁政治がまかりとおり、台頭する野党を政権与党が弾圧して平然としている姿は、民主主義が根付くことの難しさを示している。25年前、無事に国政選挙を実施したものの、その後の民主主義の運用において、大きな問題を抱えたままだ。真正の民主主義が根付いていないという意味では、一国の宰相が政権維持のためにウソやごまかしを繰り返し、まともな有権者から呆れられている国の一国民として、カンボジアのことを非難するのもおこがましい気もするが‥

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