このサイトの生い立ちについて

「コラム日記」をはじめとする本サイトは、15年前の2004年3月16日にオープンしている。当時、2002年暮れに出版した共産党批判の本をめぐり、同党と法的紛争が生じていた。同党の当時議長であった不破哲三の北朝鮮政策に関する責任をまじめに追及した書籍だったが、その指摘内容があまりにも的を突いていたのか、不破執行部は明らかな過剰反応を示した。同党は2003年3月に同書ならびに著者、出版社などを刑事告訴するとともに、民事でも提訴してきた。この書籍はペンネームで執筆した手前、すぐには執筆者名は明らかにならなかったが、民事裁判の中で著者名が明らかになると、機関紙「しんぶん赤旗」はまるで鬼の首を取ったかのように私の実名を大きく見出しにして、攻撃を開始した。世の中における公の存在である「政党」の責任をまじめに指摘した書物であったにもかかわらず、党内的な突き上げをおそれた不破議長らによる反応だったと感じている。民事裁判は委員長の志位和夫が代表者として行われた。「赤旗」や同党機関誌において私への一方的な個人攻撃が繰り返されたので、やむなく、こちらの反論の場としてインターネットを活用したのが、本サイトの始まりである。その意味では、日本共産党との確執は、すでに15年に及んでいる。同党は私がペンネームで出版したことを指し、「正体隠し」などと攻撃してきたが、こちらから同党のトップである不破議長自身がペンネームを使って政治活動をしている日本政治界における稀有な存在であることを指摘すると、同党は急に押し黙ってしまった。本当にアホな人たちであると実感したという意味で、いまも鮮明な記憶として残る。だが、このサイトの開設時、最初に取り上げた人物・団体は、実は彼らではなかった。当時、「週刊新潮」に在籍し、事実と異なる記事で多くの人たちを傷つけていた一人の言論人が俎上に載せられた。名前を門脇護といった。現在は「門田隆将」という名称で、一方的な政治活動に等しいような言論活動を盛んに行っている。このサイトができて15年――。20~30代の若い読者には、当時、なぜこの人物が最初に取り上げられなければならなかったのか、背景事情を知らない世代も増えている。当時の特殊な時代背景や問題の深刻さが理解できるような連載を、明日以降開始する予定である。

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