公明党の連立離脱について、極右側は「本当によかったと思っている一人です」(日本会議・谷口智彦会長)、「公明党の追放、うれしくてたまらない」(田母神俊雄・元空幕長)、「公明党のオウンゴールだ」(但馬イサム・文筆家)などの声を集会で耳にした。門田隆将なども自らのYoutube上で「心からよかった。今回の離脱は公明党の消滅の始まり」などと語っている。極右の多くは先行きを考える思慮もなく、喜びで舞い上がっているのが現状だ。右側からは「公明党は今回失敗した」という主張を耳にすることが多いが、私はそうは思わない。一方で左側からは身近な人からも「歓迎」の意向を聞くことが多い。
公明党と自民党の連立政権は3年3カ月の中断時期を除いて23年もつづいてきた。公明党は完全に与党しか知らない国会議員が大勢を占めるようになり、完全に“与党ボケ”している状態だった。ここで野党を経験することは、政治家としては「必須」条件だ。タイミングとしてもよかったと感じる。こうした苦労は一定の期間継続されるほうがプラスだ。一方、自民党の側も公明党はどんなに踏みつけてもついてくる“安い存在”とみなし、今回も高を括っていたのはその証明だろう。糟糠の妻はいなくなって初めてその価値がわかるという一般世間の理と同じことに思える。離脱のきっかけとなった自民党の「政治とカネ」の問題は、結局、同党自身では解決が不可能であることがすでに明らかだ。企業団体献金の禁止という形で実現するためには、もはや政権交代を行うしか方法は残されていない。次の総選挙で公明党がどのようなスタンスで臨むかということと関係するが、どの政党と組むかではなく、どのような政策実現のために共同作業できるかの観点で考えるのが自然だ。まして高市政権は軍拡路線であり、選択的夫婦別姓すら認めようとしない非人権政権だ。共同作業の最低条件は、選択的夫婦別姓を共に実現できる「パートナー」でなければならない。その意味では再び、高市政権と公明党が組むという選択肢は、巡ってこないものと個人的には見ている。
