2015年9月19日。第2次安倍政権の最大の“遺産”となった安保関連法が成立して10年の朝を迎えた。この関連法の成立があったからこそ、現在の日本の「軍事大国化」路線が生まれたことは踏まえておくべき事柄だ。焦点はいつ、日本が戦争に巻き込まれる事態に陥るかという近未来への懸念にある。よくいわれるのは台湾有事に自動的に参戦させられるということだが、その時点で80年に及ぶ日本の「戦後」は終了する。つまり、新たな「戦中」に入るわけだ。この問題で当時の創価学会は大きな渦中に放り込まれた。当然ながら平和勢力と信じていた会員の一部から集団的自衛権行使を容認する安保法制に疑問の声が噴出し、その受け皿となったのが当時の教団理事長だった。2006年第1次安倍政権の発足を見届けるように1カ月半後にできた原田・正木体制だったが、皮肉にも第1次の失敗後に復活した第2次政権で教団側も存亡の危機に陥る。もともとこの原田・正木体制は池田名誉会長が会員注視のもと直接記別を与え、発足した“肝入り”の体制にほかならなかった。だがこの枠組みは安保法制論議を背景にした政治混乱の後(直接要因ではないといわれる)、理事長更迭の事態となる。表向きは病気療養とされたが、病気が快復すれば理事長職に戻ればよかっただけの話で、真相はそうではない。このとき創価学会は今に至る組織劣化の要因を作った。あの体制が続いていればと思わない日はない。