東京大空襲を予見した桐生悠々

1933(昭和8)年の今日、信濃毎日新聞の社説で「関東防空大演習を嗤う」を書いて同新聞社の辞職に追い込まれた桐生悠々という言論人がいた。1941年9月に68歳で亡くなっており、日米開戦には接していないが、軍部政府に抵抗した新聞人として今も名を残している。その後、関東でも東京大空襲(1945年3月)が起きるなど、桐生の予言はそのまま的中する形となったことも大きい。辞職後、桐生は「他山の石」という個人誌を発行して生涯を終えたが、企業内ジャーナリストでもこのくらいのことはできたという一つの見本であろう。すでに「新たな戦前に入った」と称される現在の日本にとって、ある意味でいまは「昭和8年」と同義であるかもしれない。私にとって重要なことは、桐生が冒頭の社説を書いたときの年齢が、いまの私と同じ60歳であるという事実だ。私は企業ジャーナリストではないのでその点は異なるが、桐生の生き方はそのまま、この業界で飯を食う者の模範である。もちろん当時の日本社会にSNSなどの文明の利器は存在しなかったが、この利器があることのメリットとデメリットでいえば、少なくとも「戦争防止」という観点からすると、デメリット(大衆操作・扇動)よりもメリット(正確な情報拡散・共有)のほうが上回るのではないかと勝手に考えている。

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