政治家に求められるのは物分かりのよさでなく信念

7月20日夜から“大きな政局”が始まると身構えている評論家やジャーナリストたちにとっては、1993年以来の何が起きるかわからないワクワク感かもしれない。だが当時の日本とは経済状況や財政状況がまるで異なり、日本は「終活」をどううまく設計するかという技術的な段階にある。そのためには確かな理念のもと、確実に政策を実行できる能力が問われているといってもよい。公明党は限られた環境の中で仕事をこなす能力にはたけているが、いかんせん、首相を輩出した歴史はない。日本国全体のビックデザインをどう組むかという発想で仕事をした経験がない。これからの政局で問われるのは、むしろそうした側面と能力になるのだろうと予測している。公明党には本来、もってうまれた“確かな理念”がある。生命尊厳であり、人間主義であり、絶対的平和主義に基づく各種政策である。だが長年の与党暮らしの中で「物分かりのよさ」は育まれても、「信念」を貫き通せば与党にとどまることができないというジレンマに常に直面してきた。第2次安倍政権の初期に、公明党が「脱原発」を主張しようとしたが、けっきょく腰砕けになった過去は記憶に新しい。それを貫きとおせば、政権離脱になりかねず、泣く泣く矛を収めたという経緯があったことは明らかだった。いまいちどこの国のグランドデザインを練り直し、国家をゼロから作り直すくらいの観点で政治をとらえる局面が来ているのだと感じる。

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