人生も60年を過ぎようとすると一回りの人生をいきた気がする。この年になってしばしば幼少期の思い出などがフラッシュバックするのは、この節目の年齢と無関係とは思えない。私は東京オリンピックで沸いた秋の翌年のはじめ、九州の片田舎で出生した。時期としては公明党が結党された1964年11月から間もない時期にあたっており、同党の結党後の年月と自分の年齢とがほぼ一致するので計算上はわかりやすい。政党も60年といえば、ほぼ一回りの年輪を重ねたことになる。私どもフリーライターは最近では絶滅危惧種の職業と化してる感があるが、平たくは“究極の非正規労働”ともいえる。小泉政治がこの国の労働環境を大きく悪化させた正規・非正規間格差に、埋没した職業といえるからだ。保障された年金も少ないので、死ぬまで健康に働き続けなければならない。60歳になって悠々という一般サラリーマンの人生の姿勢とはむしろ真逆で、これからが仕事の本番という心持ちが強い。この国に生じた正規・非正規の根深い「格差」は、この国では容易に埋まりそうにない。ただしこの問題を解決しない限りは、この国の少子化問題も快方に向かわない。共倒れである。