ある媒体の取材で日本共産党に関する取材を定期的に行うようになったのは2018年秋だったから、すでに5年以上すぎたことになる。私はもともと政党機関紙記者の時期があったし、退職後、フリーランスに転じてからも同党を取材する機会があった。当時は1990年代の後半で、同党が珍しく躍進を重ねているころだった。話は戻るが、5年前に再び取材を開始した際の1冊目の取材ノートはなかなか進まなかった。ところがこの半年分くらの取材ノートの消耗度ははんぱない。ことしの1月同党は4年ぶりの党大会を開催したが、それと前後して“さまざまな動き”が噴出したからだ。善意の党員たちが公に記者会見を開いて、志位執行部に反旗ののろしをあげた(これまで3回の記者会見が開かれている)。前代未聞の出来事だった。彼らは党から処分される恐れがあるとの理由で「覆面」「匿名」で会見を行ったが、その後一部が離党し、さらに処分を受けた人もいるようだ。同時にさまざまな裁判が派生してわき起こってきた。いずれもその大元となったのは昨年2月の松竹伸幸氏らの除名事件に端を発する。これは志位委員長(当時)の“嫉妬まじり”の処分と呼ばれているもので、法手続きの無視が党内でも問題視されてきた。これでは法手続きを批判した解釈改憲の安倍政治を批判できない。いずれにせよ、同党は「まちがった判断」を下し、それを撤回できない党体質もあって、ますますジリ貧に陥っている。極めつけは田村智子氏の党大会におけるパワハラ演説で、志位氏の判断ミスにさらに塩を塗る事態へとつながった。ここでも「まちがい」を撤回できない病的体質が解決を決定的に難しくしており、“ハラスメントを解決できない政党”という枕詞が、揺るぎないものとなりつつある。その結果、まともな人間が党を追い出され、党内で弾圧を受けるなどの末期的な状況がつづく。結論するに、ダメな指導者のもと、100年を超える団体が崩壊しつつある。「建設は死闘、破壊は一瞬」という言葉が、これほど当てはまる状況も珍しい。