権力の魔性と信仰

創価学会の第2代戸田会長が教団の代表を国会に送る決断をしたのは、当時の国政が自民・社会に2分され、そこから洩れている中間層を拾い上げる必要があったことや、より本質的には“権力の魔性”と呼ばれる厳しい世界でまっとうな行動を果たすには、法華経の信仰をもつことで魔性を打ち砕くことのできる議員が不可欠と考えたことによる。その意味で公明党の議員にとって、信仰はかなり本質的な側面である。現実に信仰心の弱い者、油断した者などには権力の魔性という網に引っかけられ、奈落に落とされる。現実にそういう姿を何人も見てきた。公明党もトップが矢野絢也の時代には頭から金銭腐敗にまみれ、党内に悪い影響が増殖。複数の逮捕者を国会議員から生むなど、悲惨な時代が生まれた。だがその状況は再度、トップから変革することで、安定軌道に戻り、なんとか現在に至る。現在の日本共産党がトップから判断能力が麻痺し、離党する地方議員が全国的に相次いで組織が疲弊している現状を見ると、かつての公明党の矢野時代を思い起こさずにはいられない。話を戻すと、原理的に、権力の魔性に打ち克つには法華経の実践しかないとされる。亡くなった浜四津敏子さんが1日1万遍の唱題を実践していたという話は有名だ。公明党議員にとって信仰は必要不可欠の要素だ。

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