東村山市議の闇13 「陰謀論」としての事件

1995年当時、まだ「陰謀論」という言葉は一般的なものになっていなかった。この語は2020年の米大統領選におけるトランプ氏の「選挙が盗まれた」といったデマ発言や、同時期の新型コロナウイルスへのワクチンに関する事実に基づかない主張などで一般にも広く使われるようになった。そこからすると、95年のオウム真理教による無差別テロ事件から波及した当時の宗教蔑視の風潮、その「土壌」を利用した矢野穂積らの事実に基づかない教団謀殺説は、明らかに「陰謀論」にすぎなかった。要するに事実的根拠を無視したまま、自分にとって都合のいい主張が唱えられたにすぎなかったからだ。こうした主張には、それを唱える人間の人格特性が密接に関係する。要するに荒唐無稽なデマを世間に発信できる人間というのは、良心の呵責を明らかに欠いていることがほとんどだ。トランプ前大統領しかり、矢野穂積しかり。そのときは社会風潮に基づいて広がった一つの言説ではあっても、後から冷静に振り返ると、根拠ははなはだ希薄で、いいように情報操作されたことが明らかとなることがままある。虚偽の事実が、本当の歴史に塗り変えられていく瞬間ともいえる。

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