「敵の出方論」を廃棄していない日本共産党

TBSの「ひるおび!」をめぐる騒動で、志位委員長や小池書記局長ら同党最高幹部がSNS上で大騒ぎした割には、機関紙「しんぶん赤旗」での扱いは意外に控えめだった。昨日・本日とも、2面で扱っているにすぎない。実際はこの問題に詳しく入り込まれると、困るのは日本共産党であることをわかっているための複雑な事情が作用していると当方は見ている。なぜなら、八代弁護士の不用意な発言が導火線となった今回の問題に関して、現在の同党綱領に暴力革命路線の記述はないものの、過去に宮本元議長が発案したと思われる「敵の出方論」は、いまだ党は保持していると見られているからだ。

もともと暴力革命を党の正式綱領で規定した「51年綱領」についてその役割を終えたとみたかつての宮本顕治らは、次に「61年綱領」(宮本綱領とも呼ばれる)を策定し、長らくそれを持ち続けた。その綱領改定の過程において、暴力革命オンリーではダメだ、平和革命と暴力革命の両面作戦でいくべきだというのが「敵の出方論」だった。つまり「敵」である権力者の出方に応じてどちらを使うか決めていくという態度で、1958年7月26日に行われた第7回党大会における宮本顕治の中央委員会報告において、「(51年綱領が)暴力革命不可避論でみずからの手を一方的にしばりつけているのは、あきらかに、今日の事態に適合しない」「七中総の決議は、どういう手段で革命が達成できるかは、最終的には敵の出方によってきめることであるから、一方的にみずからの手をしばるべきではないという基本的な見地にたっておこなわれた必要な問題提起であった」などと報告し、党大会において承認を得ている。その方向性は次の第8回党大会(61年7月開催)でもそのまま踏襲された。こうした党大会決定に基づき、例えば不破哲三も、1968年1月の『前衛臨時増刊』で「日本社会党の綱領的路線の問題点」なる論文を発表し、日本社会党のもつ平和革命オンリー路線は間違いで、両面作戦でいかなければならない、つまり暴力革命も含めたものでなければならない趣旨を繰り返していた。要するに宮本顕治元議長、不破哲三前議長とつづく、日本共産党における「敵の出方論」の踏襲である。

その後、日本共産党がこうした考えを党大会決定において廃棄した、削除したという話はない。単にこの言葉を使わないようにしようといった現在の志位委員長らの姑息な態度が、過去の複数回にまたがる党内決定・方針を覆すことにならないことは明らかだ。その意味で、冒頭の「ひるおび!」の八代発言は、誤りなどではまったくない。同党が現実的に暴力革命のための具体的な武器を備えているかどうかに関わらず、同党の党内民主主義において、「敵の出方論」はいまだ捨てていないとはっきり言えるのである。

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