共産党を持て余す野党連合と2つの立場

1993年、自民党による一党支配政権が瓦解したとき、多党による連立政権が樹立された。そのころよく「非自民非共産の政権」というフレーズが使われた。「非自民」であるだけでなく、「非共産」の野党連合政権が当時の政権だったからだ。このころはまだ共産党は革命政党であり、「ふつうの政党」とは異なるとの共通認識が野党間にも共有されていた。ところがそれから28年たって、日本共産党が野党連合の一角を担うようになった最大の理由は、野党のだらしなさに尽きる。理念よりも、背に腹は代えられない。どんな独裁主義政党であろうと、票を増やすためなら形だけでも組むのは仕方がないという理屈だ。立憲民主の枝野代表はこの立場にあるように見える。ただし、この革命政党に対し、野党側にも2つの立場があるように見える。労働組合「連合」や国民民主党のように共産党が入る政権は容認しない立場が一つ。もう一つは、共産党入りを容認する立場だ。本日付のしんぶん赤旗を開くと、後者の立場に東京新聞の望月衣塑子記者も入ることがはっきりしていて興味深い。共産主義というものの怖さをまったく理解していないお粗末な姿にしか見えないからだ。これは歴史に対する不勉強であり、私には不道徳にも見える。共産主義の怖さがよく理解されていなかった戦前や戦後まもない頃ならまだしも、現代において共産主義を容認する立場は、歴史の教訓を何ら得ない者に限る。独裁主義、独善主義の政党が、ぬいぐるみをかぶって猫なで声を発している姿を、本然の姿と勘違いすることほど愚かなことはない。それをジャーナリストがやってしまっては、自らの見識のなさを露呈しているようなものだ。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。