記者は権力側に立たない

これまで記者といった肩書で30年以上仕事をしてきたが、その私に最初に職業的影響を与えた人物は竹中労という名のルポライターだった。20歳前後の時期だったが、同人を中心としたルポルタージュ研究会に参加した。2番目の恩師は、文章指導をしてくれた大隈秀夫先生である。西日本新聞社の出身で、同郷の縁もあってかわいがっていただいた。その後、社会新報の記者としては新聞労連委員長の北村肇さんから影響を受けた。あるとき何かの取材で、記者は権力と市民との間にいるとき、市民の立場で書くべきだといった言葉に感銘を受けたことがある。毎日新聞社会部の良心ともみなされていた。4番目の影響は早稲田大学で現代マスメディア論を講義していた共同通信出身の辺見庸氏で、その際の講義で多くの示唆を受けている。

まったく話は変わるが、昔、沖縄空手の世界でも、一人の師匠に習うというより、さまざまな先輩空手家から一芸を吸収し、自分の「手」(=空手)をつくるという伝統があった。上記の話はそれと似ている。多くの人もそうだろうが、だれか一人に心酔し、その影響をとことん受けるというよりも、多くの先人から吸収したものの集積が今の自分を形作っているということではあるまいか。

記者は権力監視という社会的に重要な役割を担う。本来的に、自分の売名や金儲けのために行う仕事ではない。

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