薄っぺらい時代の象徴的なジャーナリスト

昨日付の産経新聞に、門田隆将氏の「新聞に喝!」と題するコラム記事が掲載されていた。いつもながらその内容の薄さには呆れさせられる。同氏は自らを「良識ある国民」と位置づけ、一方で野党や政権に批判的な新聞を対峙している。その上で、政権批判を行う新聞記者たちを「自己陶酔する新聞記者」などといつもの陳腐な表現で片付け、「良識ある国民にあなたたちはとっくに見放されている」と最後に吠えて終わる。あまりに薄っぺらな、『ペンを持った政治活動家』の書いた駄文にしか読めない。

 

同人にすれば、安倍政権を支援する者たちは「良識ある国民」、それと対峙する野党を支援する者は「良識のない国民」ということになろうか。こうしたあまりにも極端な単純化は、プロパガンダ主義者の常とう手段といえよう。なぜなら、わかりやすい図式のほうが大衆の心に刺さる。だが、世の中の現実は、こんな単純化されたきれいごとで成り立っているわけでないことは、本当の「良識ある国民」には明らかだろう。彼には細かなファクトというものが、見事に欠落している。

 

このような言論の薄っぺらさは、現代の時代をそのまま象徴している。後世の歴史家は、こうしたおびただしい数の量の薄っぺらな文章に接したとき、この2019年前後をそのまま捉えることが可能になる。 物事を二元主義化し、その一方を完全悪と決めつけ、一方の自分の側だけを持ち上げて見せる。こんな人間はまともなペンを持った人間とはいえないだろう。単なる質の低い「扇動者」にほかならない。戦前にもこんな類のお手軽弁士はうじゃうじゃと存在しただろう。そんな者の中で、いい意味で後世に名を残した人間は一人もいない。

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