本日付の産経新聞のコラムに「教育勅語のどこが悪いと言うのか」という、同紙らしい文章が掲載されている。執筆者は論説委員兼政治部編集委員の阿比留瑠比記者。そこでは、親孝行や友達を大切にする、夫婦仲良くするなどの教育勅語の中の道義的な徳目を持ち上げ、学校現場で用いることに問題はないとの最近の政府答弁などを援用し、表題の主張に結び付けている。だがこの記者は意図的に、教育勅語の本質的側面には何も触れていない。
教育勅語が天皇を尊崇し、天皇のためには命を投げ出してもよいかのような理念をもつことを、あえて説明していないのだ。これでは羊頭狗肉ならぬ、詐欺的文章と批判されても仕方ない代物である。
なぜこのような愚かな言説が、全国紙に掲載されるかといえば、そうした言論が大手を振って歩けるようになった時代状況がある。その意味ではもはや「戦後」は終わり、「戦前」あるいは「戦中」の言論態勢に極めてよく似てきた現状がある。
戦後、日本は天皇のために命を捨てる教育勅語を捨て、民主的な教育基本法を制定した。いま彼らが主張しているのは、戦前・戦中に戻そうという復古主義にしか見えない。親を大切にしようなどというのは当たり前の徳目であって、本質的に教育勅語が批判された原因はそういうところにあったわけではない。そうした本質には触れないまま、教育勅語を絶賛、あるいは開き直ってやまない記者の感性。日本の愚かな言論状況を示す記念碑的な記事として、スクラップ・ブックの一つに加えなければならない文章といえる。
【産経コラム】 http://www.sankei.com/column/news/170313/clm1703130005-n1.html